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    ブログ!新鮮と美味しさのテイスティ・モーサルズ
    今日1日の出来事。 美味しい食材や料理、そしてレストランの紹介の他、 新鮮で美味しく届けるための世界的・日本最新技術やその設備について、体験したこと、豆知識といった情報をお届けします。
    山梨石和温泉。甲州ほうとうの小作と笛吹川物語。
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    小作は、ほうとうは常時10種類程度置いてあって、、
    山梨県内に9店舗、長野県にもお店をかまえる甲州郷土料理有名店。

    太いもっちり麺とたっぷりの野菜を
    季節によって味を調整してるという特製味噌スープと一緒に
    鉄鍋でじっくり煮込んだのが特徴です。

    ほうとうは、餺飥(はくたく)を音便したものと言われ、
    既に奈良時代の漢字辞書『楊氏漢語抄』や院政期の漢和辞書『色葉字類抄』には、
    ハクタク ハウタウとして登場し、
    うどんと同様、禅僧によって中国から伝来した料理とされています。
    中国陝西では、ワンタンのことを餛飩(ホウトウ)と言っているそうです。

    俗説ですが、ほうとうは、武田信玄の陣中食・野戦食だった言われていますが、
    徳川家に召し抱えられた武田家遺臣によって尾張徳川に伝えられ、
    名古屋の味噌煮込みうどん、きしめんの起源となったという説もあります。

    ほうとうは、小麦粉を練りざっくりと切った麺を、
    野菜と共に味噌仕立ての汁で煮込んだうどん以上に歴史をもつ料理で、
    山梨県では、中世後期には、ほうとうの起源にあたる麺類が
    食べられていたと考えられています。

    また山梨県郡内地方は、寒冷な気候で平地が少なく、
    富士北麓で、古くから流水を用いた水掛麦が作られていたことから
    この地に、ほうとう根付いたとされています。

    見た目はうどん入った味噌味の野菜鍋といった感じですが、
    麺は、うどんと異なり、塩も練り込まないし、生地を寝かせたりもしない。
    麺のコシはなく、生麺の状態から煮込む料理です。
    味噌仕立て汁にはとろみが付いて、野菜も煮崩して溶かして、
    とろとろ、どろどろしたものが美味とされています。

    ほうとうは、野菜類のビタミン類や繊維質に特に富み、
    小麦粉や芋類によるデンプン質、味噌によるタンパク質などバランスに優れていて、
    出汁は、煮干し中心で、野菜は、カボチャ、サトイモ、ジャガイモ、ニンジンなど
    ゴロっと入っていて、白菜やタマネギに、シイタケなどのキノコ、
    わらびなどの山菜が入っています。肉は、豚肉、鶏肉などを入れたりします。

    今回、小作 石和駅前通り店では、豪勢に「熊肉ほうとう」をいただきました。

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    熊肉ほうとう
     熊肉は、筋肉質で、噛めば噛むほど味が出る感じ。
     脂身もプリンとしてます。味噌ベースのスープにも良い出汁が出ています。

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    漬物
     田舎風の漬物で、山盛りです。ここの茄子はすごく美味しい。


    今回はいただいていませんが、小作では、おざらが通年で味わえます。
    おざらは、ざるうどんに似ていて、冷やしほうとうとも呼ばれています。
    ほうとうの麺を冷水でさらして、
    具だくさんの少し温かい濃い目のつゆにつけて食べます。

    一人で食事に行きましたので、ほうとうでお腹いっぱい。
    ご馳走様でした。

    食事の後、お腹いっぱい食べたこともあって、
    訪問先の会社まではテクテク散歩。

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    ちょうど石和温泉駅と小作の中間ぐらいに、
    日本3大急流のひとつ富士川の支流笛吹川が流れていて、
    笛吹権三郎(笛吹不動尊)の像があります。

    ※日本3大急流:最上川、富士川、球磨川

    笛吹権三郎の悲話は、下記のとおり

    600年程昔、子酉川(ねとりがわ)の急流に沿った山奥の芹沢の里、
    上釜口村(現三富村上釜口)に落人の親子が住んでいました。

    子は権三郎、祖先は後醍醐天皇の忠臣日野資朝(すけとも)朝臣の義弟で、
    鎌倉幕府に追放された日野河内守道義。
    母と共に、甲斐に逃れたと聞く父を尋ね歩いてこの土地に辿り着き、
    仮住まいをしていました。

    権三郎は孝行息子で、名手と言われる横笛を吹いて、
    その音色は、いつも母を慰め、里人の心を酔わせながら、
    平和な楽しい日々を過ごしていました。

    天正3年(1575年)7月の豪雨により、近くを流れる子酉川が氾濫し、
    権三郎母子が住む丸木小屋を一瞬の間に呑み込み、
    権三郎は必死で流木につかまり辛うじて助かったが、
    母は行方不明となってしまいました。

    権三郎は悲しみにうちひしがれながらも、
    日夜、母を探し求めて、浅瀬に淀みに笛を吹きながら
    母の霊が何か知らせてくれる望みを抱き探し訪ねていたそうです。

    彼の吹く笛の音は里人の涙を誘い、
    ある日のこと、ついに疲労困憊の極みに達した権三郎が、
    笛を吹いていると川の瀬にまじってなつかしい母の呼び声が聞こえてきます。
    権三郎はほほえんで母の名を呼びながら急流に身を投じ、
    母のところへ帰って行ったと言うことです。

    数日後、権三郎の遺体は、手にしっかりと笛を握ったまま、
    子酉川下流の小松村(現春日居町小松)の河岸に流れ着き、
    長慶寺の開山・円誉長慶上人や同情を寄せた村人の手によって
    手厚く葬られたそうです。

    権三郎が逝ってから間もなく、
    夜になると川の流れの中から、
    美しい笛の音が聞こえてくるようになったといいます。
    以来この子酉川は、笛吹川と呼れています。

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